アメリカ留学、一緒に来る?

夫の留学についていくことになった。アメリカ生活・妊娠・出産・子育てに関してゆるりと記録してみる。1年目はLA、2年目はNY。

今更ながらアメリカ出産〜退院までレポ

もう3週間も前のことになってしまって今更かもしれないけど、入院中にメモしたことを記録にしておく。

 以前の記事↓

 

asa-ita-haya.hatenablog.com

 

 

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陣痛の痛みの中で

  • 足の震え…痛みや寒さとは別の制御機構がおかしくなったような感覚だった。脚全体がガタガタ震えて止まらなくて、ホラー映画で痙攣してる人みたい。我ながら怖かった。胎盤が出るまで震え続けた。
  • 陣痛中のサイン攻め…色々な処置をする前にそれぞれ同意書にサインが必要だったらしい。そのため、子宮口7センチから急速に進むお産の真っ最中に、10箇所くらいの署名を求められた。夫が代筆しようとしたら本人でと言われ、陣痛の波のすき間でヘビみたいな字のサインを書き殴ることになった。
  • パースプラン…主治医には伝わってたものの、早すぎるお産のせいで駆けつけるのが遅かったので意味があったのやら。入院のタイミングで看護師さんにプリントアウトしたパースプランは渡しておいた。でも色んな処置をする前に私の意思を毎回確認されるので、パースプランなしでも同じ結果は得られた気がする。

 

お産のあと

  • へその緒…バースプラン通り、夫がカット。保管用に一部を残しておいてほしいとその場でもリマインドした。しかし!取っておいてもらったはずの袋詰めへその緒、なぜか行方不明に。どさくさに紛れて結局捨てられてしまったみたい。仕方ないので、退院後にぽろっと取れたやつを桐の箱*1に保管した。
  • 会陰… 自然に裂けた。1st degreeだったらしく、患部の痛みは1週間経たないくらいで落ち着いた。友人からもらったドーナツクッションが大活躍。
  • 胎盤…あんまり綺麗に出てきたから、と言って主治医が興奮気味に見せてくれた。教科書の絵みたいと看護師さんにも変な褒め方をされた。
  • Skin to skin…いわゆるカンガルーケア。赤ちゃんが生まれてすぐ、へその緒につながれたまま私の胸の上へ。LDR室にいる間は基本的にずっとそのままの態勢だった。必死な泣き声とぐちゃぐちゃな姿が愛らしかった。ただ、顔が近過ぎて我が子の顔がよく見えないという問題アリ(笑)
  • 赤ちゃんのビタミンK注射、抗生物質の点眼薬、B型肝炎ワクチン…こちらもパースプラン通り、前者2つはやってもらった。HepBワクチンは小児科で受けるつもりだったのでお断り。
  • 処方薬…入院中、後陣痛の痛み止めとしてイブプロフェン、便秘予防にColaceと同じ成分のジェネリック薬を出してくれた。退院後も市販薬で対応してね、と。あとはprenatal vitaminのサプリは母乳のため継続して飲むようにと指導された。
  • 小児科の先生…昨年10月にインタビューしたハミルトン先生。生後1日目、2日目とも赤ちゃんの確認のため診察を受けた。ひょこっと病室に現れ、高速で診察して、黄疸が出てるけど他は問題なし!と陽気に去っていく。退院後2日目にクリニックに来るよう言われた。

病室担当の看護師さんが数時間おきに様子を見にきてくれて、昼夜問わず疑問や不安に答えてくれたのは心強かった。母乳コンサルタントの人も2度ほど指導しにきてくれた。

 

入院グッズについて

  • 産褥パンツとパッド…割と出血が収まらなかったので、病院支給の分厚いオムツと使い捨てパンツしか使わなかった。オンナとしての尊厳は損なわれるけど、それどころではない。
  • パジャマ…授乳もしやすい可愛いデザインのを持参したけど、汚したくなくて病院のペラっとしたものしか着なかった。
  • 授乳ブラ…入院中は病室の外にほとんど出なかったのでノーブラで過ごした。

本当に必要だったのは、赤ちゃんと自分の退院時の洋服くらいかも。

 

退院時にもらえたもの

  • 赤ちゃんのもの…Huggiesのオムツ2袋、ベビーソープ、髪ブラシ、沐浴に使う洗面器、おくるみ、Tシャツ、帽子
  • 私のもの…産褥パッド、患部冷却グッズ、洗浄ボトル、メデラの搾乳キット部品*2

 

以上、記憶の限りのざっくり入院レポでした。

 

*1:両親に日本から調達してもらった

*2:病院のは医療用搾乳機だったけど、家にある搾乳機にも使える部品なのでありがたかった